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第六章 奇跡の終焉②

Penulis: 七森香歌
last update Tanggal publikasi: 2026-08-20 10:59:50

 リスルとイーシュが湖畔の風車小屋に逃れてから三日が過ぎた。

 肩から毛布を被り、椅子で眠っていたリスルは、明け方、イーシュによって揺り起こされた。

「リスルさん、起きてください。外が大変なことに……」

「ん……ふぁ……どうしたの、イーシュ」

 眠い目を擦り、欠伸を噛み殺した間延びした声でリスルが応えると、イーシュは血相を変えて畳みかけた。

「外を見ればわかります! 山が燃えて……!」

 山が燃えている。その言葉に反応して、リスルは完全に覚醒した。彼女は両頬を叩き、真顔になると立ち上がる。被っていた毛布を床に脱ぎ捨てると、彼女はイーシュに引っ張られるようにして小屋の外へ出た。

 まだ夜の気配が色濃く残る暁の空の下、ヴェレーン村の向こう側にあるロイゼン山が赤く燃えていた。少女時代のトラウマを刺激され、リスルは口元を押さえて立ちすくむ。何とか絞り出した声も意味のない音にとなり、白い吐息と共に空気中へ霧散していく。

「な……」

 山火事が起きていた。風向きが悪く、ヴェレーンへと炎が降りてくるのも時間の問題だった。

 これに関われば自分はきっと、生きて朝日を見ることはないだろう。何となくそんな予感がした。

 けれど、これは自分たちが招いた結果だ。リスルは我が身可愛さにこのままこの地を離れることなどできなかった。

「ロイゼン山へ行くわ。イーシュはここにいて」

 ロイゼン山のある南西の方角へ走り出そうとするリスルをイーシュはその腕を掴んで止める。

「やめてください、危ないです。そもそも行って何をするつもりなんですか」

「わたしにできることをするの。《ヴィサス・ヴァルテン》の力をもってすれば、直接的な鎮火はできなくても、燃え広がる方向を変えることくらいはできるわ。緩衝帯を用意してそっちに炎を誘導してやれば……」

 リスルは一人で木を切り倒して燃えるものを無くし、地面を掘って溝をつくることで延焼を食い止めるつもりだった。リスルがそれをイーシュに話すと、彼は首を大きく横に振った。

「無理ですよ! リスルさん一人でできることじゃないですよ! いくら異能があるっていったって、それ以外はリスルさんは普通の女の人じゃないですか! 無謀です!」

「無理でも無謀でもやらなきゃいけないの。これ以上、あの村に迷惑はかけられないもの。

 イーシュ、気付いている? あの山火事、恐らくはあいつらの仕業よ」

「え……?」リスルの言葉にイーシュは唖然として固まった。彼は唇を戦慄かせながら、「あいつらって、あの捜索部隊の……? 何でそんな……?」

「大方、わたしたちが見つからないことに焦れて、手っ取り早く山を焼き払うことにしたってところでしょう。山に逃げ込んでいれば焼け出されてきたわたしたちを捕まえることができるし、そうじゃなくてもわたしたちに対する見せしめになる」

 いかにも粗野なあいつらが考えそうなことだわ、とリスルは吐き捨てた。

「あいつらの思惑に乗せられるようで癪だけれど、わたしは行くわ。あの村に被害は出させない」

 毅然としてそう告げたリスルをイーシュは押し留め、

「だからって、それはリスルさんが一人で行く理由にはなんないですよ。俺にも手伝わせてください。

 ここに逃げてくるときだって言ったはずです。俺はリスルさんに守られるばかりは嫌だって。自分に今できることをしたいって思うのはリスルさんだけじゃないんです。俺だって同じです」

 イーシュの焦茶の双眸に真摯な光を認め、リスルはやれやれとかぶりを振った。こうなったらこの子は恐らく意地でも聞かないだろう。

「仕方ないわね。ただ一つ、危なくなったらあなた一人でも絶対に逃げること。それだけは約束してちょうだい。それでいいなら一緒に来て、イーシュ」

 リスルとイーシュは三日前とは逆に川上に向かってラーウェ川沿いを歩いていた。ヴェレーンに近づくと、風に流された煙が既に村へと降りてきていた。じきに朝が来るはずの空はまるで曇天のような灰色で覆われていた。

 リスルは首元に巻いていた淡いベージュのチェック柄のストールを解くと、イーシュの口元を覆うようにぐるぐると巻いた。

「イーシュ、これで口を覆っておきなさい。あまり煙を吸うと、喉を痛めるわ」

 リスルがモッズコートの袖口で口元を押さえながらそう言うと、イーシュは大人しく頷いた。

 村の様子は気になるが、教会の捜索部隊が駐留している以上、あまり目立つわけにはいかない。リスルたちは村の中は通らずに、外縁に沿って西側にあるロイゼン山へ向かうことに決めた。

 風車小屋の物置に保管されていた古びて錆の浮かぶ斧とシャベルを二人は担ぎ直し、その場を立ち去ろうとすると、聞き覚えのある声が響いた。

「シスター・リスル? それにイーシュ君も一緒だったんですね。無事でよかった」

「……レイモン神父」

 人の良さそうな見知った壮年の男の顔を認め、リスルはその名を呼んだ。

「どうしてここに?」

「毎日夜明け前にここに参拝するのが私の日課なのですが……教会に戻ろうとしたら、山が燃えているのに気がつきまして。それより、シスター・リスル。あなたこそ、どうしてここへ?」

「わたしたちもあの山火事を見て……これからロイゼン山へ向かうところです」

 リスルがそう答えると、神父の表情に厳しいものが浮かぶ。

「シスター・リスル。あなたは今すぐに、イーシュ君を連れて、この地を離れなさい。こんなことになった以上、村の人々はあなたたちに決して良い感情を抱くことはないでしょう。私たちとしてもあなたがたをこれ以上、庇い立てすることはできません」

 レイモンの言葉に、わかっていますとリスルは頷いた。その上で彼女は、ですがと言葉を続ける。

「あの山火事はわたしたちが見つからないことに焦れて捜索部隊が暴走した結果なのでしょう?」

 ええ、まあとレイモンは歯切れ悪く言葉を濁す。

「なら、わたしたちはわたしたちの招いた結果に対して責任を取るべきです。わたしたちはこれからロイゼン山に行って、山火事の対応をします。これ以上、この村に迷惑はかけられませんから」

「そうは言ってもあなたたち二人がロイゼン山に行って何になると言うのです? 何ができると言うのですか?」

 突き放すようなことを言っておきながら、リスルたちの身を案じないでいられないレイモンの善良さにリスルは苦笑した。

「レイモン神父。わたしたちの力を使えば、通常よりも効率的にこの山火事に対応できるはずです。どうやら、わたしたちは教会が言うところの悪魔の祝福を受けた眷属とやららしいですから」

 ついつい言葉の端に皮肉が混ざってしまって、リスルはしまったと思う。しかし、レイモンはそれに気付かなかったかのように、

「シスター・リスル、イーシュ君。道具が使い方によっては人を傷つけも助けもするように、きっとその力も使い方次第です。どうか……私に、その力は人の世に仇なすものではないのだと信じさせてください」

 ええ、とリスルが頷いた。レイモンのその言葉が嬉しかった。

 彼の善良さに付け入りたくはなかったが、リスルはどうしても彼へ伝えておきたいことがあった。なるべくなら、後顧の憂いは今のうちに断っておきたかった。

「わたしに何かあったときは、イーシュが一人で逃げられるよう、手を貸せとは言いませんが、出来れば見て見ぬ振りをしてあげてください。

 レイモン神父、短い間でしたが、お世話になりました。わたしは……この地で生を終えてもいいと思う程度には、この村が好きでした」

 彼女はレイモンにそう耳打ちをすると、斧を手に歩き始める。

「シスター・リスル……? ちょっと……!」

 それでは、と歩き去るリスルの言葉に遺言めいたものを感じ、レイモンは彼女を咄嗟に引き留めようとする。しかし、彼女は振り返らなかった。

 イーシュは黙ってそれまでのやりとりを見ていたが、レイモンの表情に胸騒ぎを覚えた。彼はレイモンに静かに黙礼すると、遠くなり始めた茶色い髪が流れる背中を追いかけた。

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